なんかさ、F1遅報でアルボレートの話を書いてたら色々思い出しちゃった。俺がF1を見始めたのは92年かな? そう、リアルで生で見たのは93年の鈴鹿。ウィリアムズ・ルノーのプロストは、1年の休養(?)後に復帰し見事チャンピオンを掻っ攫って引退しちゃったんだよね。俺的にはプロストを知らない状態でのF1観戦だったから、セナとの確執とか全く知らなかったのね。で、翌年、かのアイルトン・セナは念願のウィリアムズのシートを得るわけですが、その年、そう1994年の第3戦サンマリノグランプリ・タンブレロから天に召される。やー、衝撃でしたほんとに衝撃。こうやって原稿を書いてるだけで涙が出てくる。あんな、F1見たくなかった。あのGPではバリチェロの大クラッシュがあり、土曜日のローランド・ラッツェンバーガー(シムテック)の事故があり...。当時セナ嫌いの廣田はシューマッハの強さをちょっとうれしがったりしてた。やー、確かにうれしかった。プロストのチャンピオン奪取劇しか見ていない自分にとって、セナはプロストの敵だったし、野蛮なキャラクターとしてみちゃっていた。でも、結局このセナの事故でこれまでのF1の事実をしっかりと知りそして理解し、セナはもちろんプロストや過去の英雄達の功績を知ることとなったのです。
セナの死は衝撃的でした。メディア経由の情報から得られるものは当然ですが、自分自身様々な情報を調べに調べまくりました。表向き、セナ嫌いを主張していたので、あまり反応しないようにしていましたが、彼の死を冒涜するようなコメントには憤りを感じていたのは事実です。そして、セナの偉大さ、いやF1ドライバー全てに対する偉大さを感じ得た、その結論が出たわけです。
結局のところ、セナはホントにいいところで居なくなっちゃいました。本当はシューマッハと死闘を演じるはずだったんです。いやいや、シューマッハだけじゃないよ、ハッキネンやヴィルヌーヴ、忘れちゃいけないデイモン・ヒル。シューマッハがどんな偉大な記録を作っても、なんかあんまり敬われないのはそのあたりがあるからなのではないでしょうか?
そんな、シューマッハもセナの持つ最後の記録を抜く勢いで来てます。最後の執念です、いや執念じゃないんだけどね。でも、セナを実力で上回るチャンスを得られなかったシューマッハは、記録で彼を抜かざるを得ないでしょう。記憶のセナは絶対に抜けないだろうから...。
なんか、へんな回顧録ですな。最後に書きます、F1を見続ける動機となったのは、あるF1好きの解説者がTVで話したこのワンフレーズです。
『偉大なドライバー、アイルトン・セナは死にました...でも、それでもF1グランプリは続くのです...』
F1グランプリは続くのです...この後、いつまでも...。今宮さん、いつか酒を酌させてください。あ、赤井さんはもちろんですがな、ネットワーク担当として。