インターネットを介したコミュニケーション

 インターネットを介したコミュニケーションで一番大事なのは、自分のリテラシーをちゃんと理解することと、コミュニケーションする相手のリテラシーを推測すること。特にですが、自分より相手がリテラシーが低いと感じたら、相手を安易に批判することなくスルーするか、リアル同様の議論を交わすべきです。大して面識がないにもかかわらず、いきなりリアルでけんか腰に話しかけたら会話にならないでしょう。いきなり刺されることはありませんが、リアル以上に相手は傷つき何かを思うわけです。

 ちなみに、リテラシーが低いと考えている方は(リテラシーが低い方は、通常そんなことに気づきもしませんが)、臆せずありのままでよいと思います。ただ、そこで受けたものについては理解できなくても記憶しておいてもらいたいです。いつか、そのときにあんなことを言ってきた方の主張が理解できる時が来ますから。あ、理解できるというのは相手の主張を理解するという意味であり、相手の主張を受け入れるという意味ではありませんよ。

 リアルでもそうですけど、みんな色々な考えや価値観を持って生きています。インターネットによって、突然コミュニケーションできる範囲が広がって、しかもそのコミュニケーションが浅い状況下でも人に自分の考えや価値観を理解させようと行動する方が増えています。技術は進化しても、人はいきなりそこまで進化できません。ましてや、人々によって創り上げられる社会は当然のことです。

 正直、小学校の時期からインターネットの教育、というか話しをきっちりと行うべきです。ゆとり教育が見直され、再び学校でのカリキュラムに余裕がない時代が訪れようとしています。いや、別に既存の強化を減らす必要はありません。全ての強化でまんべんなく、インターネットでの事例・出来事を加えることはできませんか? 特に小学校での道徳の授業では、インターネット特有の行為について触れるべきでしょう。ただでさえ、多くの知識を持ち、問題を解決する必要がある小学校の先生方にお願いするのは恐縮ですが、先生方も含め教育委員会や文科省など、真剣に考えてもらいたいものです。

 折角、色々な人たちが繋がる技術を得たのですから、まずはのんびりといきませんか? ほら、自分と違う意見の人たちを、あなたはことごとく論破や喝破してきましたか? スルーすることは自分自身にとっても価値があるものですよ。まあ、のんびりいきましょうよ。