大学時代から無茶苦茶だったんだよ、そうそう

 私は大学時代って言うか、正確には高校時代から目茶苦茶なことをしてたんですが、なんか30になって同じ視点でやりたいことをやってる奴がいると思うと、無意味に競争心が煽られてきたり。アプローチの仕方が違うんだけど、最終到達地点はお隣さんだったりするから。
[続き・長いです] 


 大学時代に入って無茶苦茶なことの中のうちの一つに、京都の大学の写真系団体の奴らで集まって写真展をやるってのがあったんだけど、あれは強烈だった。最初の会合をマック...いやいや、マクドでやろうと思ってたんだけど、集まりすぎちゃってしょうがないから加茂川の橋の下でやったから、団体名を「橋の下」とかにしたり。ちなみに最初に断っておきますと、私、写真下手です、猛烈に。でも、写真展だとかそのへんの企画は大好きだったのねー。なんだろ、絵の場合は決定的に無理なんだけど、写真ならそこそこまでいかなくても、まーなんとかなるんじゃないかと。

 同時に関関同立写真連盟なんていう奴の長もやってましたが、あれ最悪だった。なんだろ、文化の違いがもろに出ちゃって。で、その文化の違いを強制的に変えてやろうっていうオレの想いが強すぎた。ぬるま湯でよかったんだよ。中身に意味があるんじゃなくって、形に意味があるんだから。あ、これ悪い意味じゃないよ、形に意味があるコトだってあるじゃないか。おー、大人になったなぁ、ある意味。当時、なんだか微妙に写真部・サークルブームで部員がガンガンに動いてた時代だったからねー。高校時代の親友が副幹事だったんだけど、すげー助けてくれたから何とかなってたけど、最悪解散させかねないむちゃくちゃさだったからなぁ。

 もういっこ忘れちゃいけないイベントがあった。インターネットという文明の利器を手に入れたオレは、当然のごとくインターネットで写真展をやろうと画策する。しかも、うちの大学だけじゃなくってどっかも巻き込もうと、当時大学で写真団体でWebをもってた奴らに声をかけた。1996年にインターネットで4つの大学が同時に写真展を開催したのは初めてじゃないかなぁ。参加大学は、電気通信大学、慶応大学(SFC)、広島大学、立命館大学の4大学。誰とも直接会わずにやったんだよねー、メール&お互いの大学のWebサイトに同一フォーマットのページを置いて、参加者の写真が掲載されてるページをハイパーリンク(そう書いてみる)でつないで...。あの時のオレ、すげー、最高だ、自画自賛。今やっても誰もおどろかないだろうけど。

 極めつけは卒業写真展。大学のサークルには参加せず、例の京都の写真の集まりの奴らでやった。ちなみに、仏教大学の奴、花園大学の奴、龍谷大学の奴、で立命館大学のオレ、なぜかうち以外は仏教系...。ちなみに、そのことが猛烈に尾を引いていて、今でも大学のサークルの同期からは白い目で見られる。うち一人は「お前、絶対告訴してやる」ってのが最後の会話だった。そいつ、ホントに弁護士になっちゃってるし...。誰が被害者なんだ? やばい、そいつを含め、当時の同期全員が被害者だといわれそう。

 かー、だめだよー、金曜日の真昼間からこんなことを書いてちゃ。でも、過去のことを考えるとちょっと今のオレ、遅いよ、行動が。30代最初の夏、弾けさせていただきます。あー、22歳のときのオレが欲しい。