コミュニケーションにおける、メールの功罪

 メールによって人のコミュニケーションは大きく変わった。
 メールは口頭による会話に比べれば、感情を表すことが極端に難しい。同じ文面を読んでも読み手の感情や読み手と書き手との関係性、書き手が気付きもしないような読み手の考え方など、口頭による会話ならコミュニケーションをとりながら修正できるはずの行為ができない。当然といえば当然の話だが、そのあたりが顕著になってきた気がする。

 これまでもメール等によるコミュニケーショントラブルは大小問わずにあったのだが、このところの利用者、特に初心者におけるコミュニケーショントラブルは尋常なく多いように感じられる。通常の会話でなら考えられない流れなのだが、メールでは最初から怒ってコミュニケーションを始める人間が多く見られる。当然の話だがそのような行為は全くコミュニケーションが成立しない可能性を理解しているからだ。ただ、メールは違う。コミュニケーションにおける意思伝達のブロック(文章量)が大きく、口頭によるコミュニケーションとは大きく特性が異なる、そうある程度完結した状態でメールは送信される。そのことによって、読み手にとっては選択肢が少ない状態でコミュニケーションをとらなくてはならない錯覚を覚えてしまうのだ。また、先に述べたとおり、相手を非難しているわけではないのに、読み手にとっては非難されている様に取られてしまう可能性がきわめて高い。初心者同士のコミュニケーションでトラブルが多いのは理解できる。

 いわゆるネチケットの類を知る機会が無いのも問題なのかもしれない。インターネットの利用は許可制でも無いし、免許制でもない。ネチケットなど知らなくても、問題を起こさない人もいれば、問題だらけの人もいる。ブログのマナーなどを考えていたら、結局はメールなどのテキストによるコミュニケーションの問題にぶつかった。小学校で英語を教え始めたように、コンピュータの操作・有用性やインターネットの有用性を教えること共に、新たなるコミュニケーション手段をどのように使えばよいかを伝えてほしいと思った。でも、今の小学生や中学生はまだ間に合うのだが、すでにその機会が一切与えられないであろう大人たちをどうすべきなのか...。

 最後に、私はメールの有用性を否定する気は全く無い。否定するどころか、私のビジネスはメール無しでは考えられないし、プライベートにおいてもメール無しの生活は考えられない。なにより便利だし、電話くらべれば情報としての正確性は著しく高い。10代からメールを使い始めて10年以上が経った。これまで多くのトラブルや自分自身の間違いを経験してきた。また、ブログでも同様、多くのトラブルなどを経験してきた。ブログエバンジェリストとして、多くの人たちにブログを薦めているが、実はそれだけでは足らないのかもしれない。ブログもメールもひっくるめてインターネットでのコミュニケーションがどのようなものであるのか、それを伝えていかねばならないと思う今日この頃である。