この週は水曜日から愛知県豊橋市の豊橋技術科学大学で開催されている言語処理学会 第17回 年次大会に参加しており、実家のある豊川市に滞在していました。
当初は3月11日からは三重県の鈴鹿サーキットで行われるフォーミュラニッポンのテストを取材する予定でしたが、言語処理学会の併設ワークショップの内容が「自然言語処理における企業と大学と学生の関係」で非常に興味深い内容であり、鈴鹿サーキットでの取材はあくまで12日の準備だったため、この日は10日と同じく豊橋技術科学大学にいました。
大学に到着したのは9時半頃。昨日までの年次大会とは異なりワークショップということもあり、参加者はそれほど多くない模様。午前中から、多くの研究者や企業の担当者などが活発に議論を交わし、非常に有意義な時間を過ごしました。
昼食を挟んで午後のパネルディスカッションを経て、2時から招待講演が始まりました。岩田進(ロックオン/創業者・代表取締役社長)さんの話しは非常に興味深く、考えさせられる話しでした。講演も終盤に差し掛かったその時、14時46分を迎えます。
最初、講義室が揺れているのかどうかよく分かりませんでしたが、周りがざわつきはじめ全員が揺れを感じました。時間にして1分程度、震度は確か震度3程度だったと想います。初めは、大した地震じゃなかったな、くらいに感じていたのですが、ネットで地震情報をチェックしてみました。情報系の学会はほとんどの参加者がノートPC持参で、ネットワーク環境も提供されていることが多く、多くの参加者が同じ行動をしていました。そこで目にした情報を見て、凍り付きました。
震度6強、マグニチュード7.9、東北地方が震源、大津波警報、東京は震度5強、、、
この地方で感じた地震はかなり端っこの方で、東京でも大きな揺れがあったとのこと。それ以上に、大津波警報が発令されていて、本当に大きな津波の襲来が予想されていました。
状況は時を経る毎に悪くなる一方、当初発表されたマグニチュードは8.3に修正され(その後も修正が続き最終的には9.0)、最大震度も7と発表。津波は既に広い地域に到達しているが全く状況がつかめない、、、。この時点で、阪神・淡路大震災に匹敵する規模の地震だと覚悟を決めました。
とりあえず、東京の家族に連絡を取ろうと、電話をしようと思いましたがどうやら自宅にいたようでAIMが接続状態。チャットでメッセージを送ってみると、返事がありました。携帯は全くつながらなかったようですが、ネットインフラは問題なく使えました。とりあえず無事は確認できたけど、マンションの10Fにある自宅はめちゃくちゃの状況。子供が怯えているので、一旦避難するとのことでした。
次に会社に連絡をしようとしたのですが、固定電話は一切つながらない。しょうがないのでTwitterとメールで連絡したところ、大きな被害はなく(マグカップが一つ破損)誰も怪我などはないとのこと。サーバ自体は何か異常があればメールで自動的に通知されるのですが、それもないのでサーバ及びネットインフラについても問題ない模様。既に電車が止まっていることが確認されたので、タイミングを見て自宅への帰宅を伝えました。
一刻も早く東京に帰ることを考えましたが、新幹線も止まっており東名高速も全面通行止め。この状況では東京に帰ることは不可能に近い。豊橋は被害がほとんど無く(海岸沿いは津波警報は発令されていましたが)、ワークショップは続いていたのですが自分自身が全然聞けない心境になってしまったので、とりあえず豊川の実家に戻ることにしました。
実家に戻りテレビをつけると、、、。
あまりの地震規模の大きさに、思わず立ちすくんでしまいました。
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一息ついて、嫁に連絡を取ろうとPCをチェックするもAIMも不在の状態、携帯をかけるもつながらず。試しに携帯メールで連絡をしてみたら、返事がありました。最初、近くの中学校に避難して、その後マンションのロビー、そして今は低層階の友達のお家にみんなで集まっているとのこと。どのお家も、父親は仕事に出ていて首都圏の鉄道が麻痺している関係で、帰宅には時間が掛かるとのこと。とりあえず、みんなで集まっていれば安心と思い、東京に戻る手段を考えはじめました。
時間を追う毎に東名の通行止めは解除されていきますが、海岸線に面している由比の辺りの通行止めだけが何時までも解除されません。まだ、津波警報が発令されている状況なので、当然と言えば当然ですが、一般道も通行止めの模様。一方、中央道も引き続き通行止めで、新幹線も止まっているため、この日に東京に戻るのは諦めました。
東京の自宅はモノが散乱していることと余震が怖いとのことで、友達の家で一晩過ごさせてもらう事に。子供も最初は怯えていましたが、予想外の時間に友達と一緒に居ることが出来て逆に大はしゃぎ、、、まだ、3歳なのでちゃんと事態は理解できていないのは幸いかも。
夜になって、東京の帰宅難民のニュースが多く伝えられはじめました。電車が止まっているのでしょうが無いのですが、多くの人たちが徒歩で帰宅するという初めて観る東京の光景に自分自身は何もすることが出来ませんでした。ツイッターで情報をRTしたりまとめたり、それくらいのことしか出来ずその日は就寝しました。
東北地方太平洋沖地震 1日目 2011/03/11