SMW2013 【ソーシャルメディアと政治ジャーナリズム】

【ソーシャルメディアと政治ジャーナリズム】
2013.2.19
[Speakers]
長谷川 幸洋
論説副主幹/ジャーナリスト
東京新聞・中日新聞

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※私的に取ったメモですので、内容については一切保証しません

・オールドメディアの立場から、ソーシャルメディアについて話をしたいと思います
・今の政治を考える、5年10年前となにが一番違っているのか。かつて記者が取材対象としていた方が、我々を介さずにその方自身が情報を発信し始めた。オールドメディアが深刻に受け止めなければいけない。安倍総理もFacebookで自ら情報発信をはじめた
・議員でもツイッターや数年前からブログなどで情報発信をはじめている
・議員のみならず役所も自ら情報発信をはじめる、かつては記者会見で紙で配られていたものが、ほぼ同じタイミングでWebから情報を発信する
・記者がまずはじめに情報に接し、新聞に刷り国民に伝えていたが、もはや紙自体が必要でない状況になってしまった
・とても重大な問題、この状況で、ジャーナリズム・メディア・リポーティングはどのような役割を果たすべきなのだろうか。直接ソーシャルメディアを見た方が早い、深く、より詳細までわかる状況の中、メディアはどのような役割を果たす必要があるのか。まだ、新聞はそのことを自覚できていない状況だ。相変わらず過去と同じような仕事をしている。これで果たして読者・視聴者は満足してくれるのだろうか
・今までのやり方がおかしい、限界があることにはちょっと気づいている。でも、次のパラダイムでどのような役割を果たすべきなのか、回答は見えてこない
・現場の記者達はどんどん忙しくなっている。かつては会見に出て、会合に出て、夜回りに出て原稿を書く。これで十分だった、しかし今はそれではダメになってしまった
・ポータルサイトにアップする情報、静止画・動画のようなものまで必要となってしまった。紙で書いた原稿は外に出なかったが、情報のスピード競争、一考も早く報道をしなくてはならない。また、ライバルの情報もチェックしなければならない。世の中の議論はどうなっているのかもチェックしなければならない
・メディアの足場が崩れつつある、それがジャーナリズムの現状

・会見、懇談、夜回りスタイルから来る情報を特ダネとするようなことは成り立たない
・オープンガバメントの動きも高まってきた、情報公開という意味では民主党政権の功績でもある
・復興予算の流用問題、最初は小さな記事だったが、テレビでも取り上げられ、新聞でも扱わざるを得なかった
・役所自らが情報を出していたのがきっかけ。予算の内訳の明細書をネット上に公開している、各目明細書で検索すれば出てくる
・特段記者が優れていたわけではない

・代わりに何をすべきなのか、すでに公開されている情報、公共政策の情報を発掘してその文脈を読み意味を理解する
・政治ジャーナリズム、どうでもいい話ばかりは相当意味が薄れてきている。政治が何をしようとしているのかを報じることだ。
・情報がどんどん公開されている。予算などはかなりのレベルで公開されている。既成ジャーナリズムが十分に消化しているのかというと十分ではない
・このような情報を理解するためにはスキルが必要。検索能力、統計学的な手法、ある一定のスキルが必要
・しかし、現時点ではメディアがそのような体制になっていない、時代が変わっていることに気がついていない。マネージメント層が気づいたとして、なんでもできるスーパーマンのような記者が出てくるのか、相当難しい。役割分担が必要になる、データ処理担当、夜回り担当など
・記者として何を伝えるのか、生の情報はかなり出ている。データをニュースに仕上げるためにはどうしたらいいのか、そこが付加価値になる。どのようにすればマテリアルがニュースになるのか。記者一人一人の問題。報道機関の会社単位で物事を考えがちだが、記者一人一人の問題だ
・今のジャーナリズムは組織のジャーナリズム、サラリーマン記者だ。これから問われるのは一人一人の記者がなにをやるのか。誰でも記者になれる時代なのだ
・確かに総理大臣に電話するようなこともあるけど、それはわずかだ。8割は素材がそこにある状態、誰でもアクセスできる。その素材をどのようにコンテクストを作り見通しを立てる、ほとんどはその作業に費やされる
・役所が発表する情報なんて追っかけている場合じゃない。制作や発表情報の裏側にある意味を考えるべきだ
・本人がツイッターなどで発信している情報以上のものを発信できないままでいる
・メディアとかジャーナリズムがどれだけ自分たちの足場を作り、主体的に物事を提示できるのか。メディアが自立できるのかというテーマに行き着く
・取材相手が語っていることを報じる、発言をそのまま報じるレベルに留まっているのなら、メディアがメディアではなくなってしまう。本人が出している情報をそのまま出すことに意味があるのか
・本人が語らない、本当の狙い、それを書いていく報じていく、そこにメディアの可能性があるのでは
・政治家がメディアに語ることが全てではない、その後ろに目的・思惑といったものがある。そのことに既成メディアが迫ることができているのか
・あまり話すと、ライバルのネタにもなってしまうのでこの程度にしておきましょう

質問:報道は中立且つ公正でなければならないわけですが、そうではなくなってくる。今後受け手はどう考えればよいのか
長谷川:客観性・中立・公正で有るべきと言われてきたが、私はそれは違うと考えている。マテリアルを選択自体が記者の主観。どのように報道するのかは主観である。それでは、この考えを世の中に伝えたら、報道は主観の寄せ集め委になってしまうが、私はそれでいいと思う。正しいと思うもの、正しいと思わないもの、情報の受け取り方は読者マーケットは判断してくれると考えている。アベノミックスの解釈の仕方も2つある、どちらで報じるか。読者マーケット、そして現実世界で見ることができる。正しい意見で導いて欲しいというユーザもいるだろうが、私はそれは正しいと思わない。取捨選択をされる過程を経て、正しい意見のみが残ることになる

質問:記者の問題ではなく新聞社・テレビ局の制度疲労を起こしている、株式会社の宿命。紛争地域に記者を出せない、組合が許さない。東京新聞も株式会社を辞めて、ソーシャルで資金集めを行い、質のよい記事を出すべきではないか
長谷川:私は新聞社を全く信用してない。全てが個人単位に落とし込むことが重要だと考えている。東京新聞は五件の立場、集団的自衛権は維持、左。でも私は真逆の考え。見方・意見・コンテクストを決める作業は全て主観。個人のジャーナリストとしてのビジネススタイルを変えろ、というのが回答だと考えている。1年ごとの年俸制とし、評価を受ける。どこかの新聞社で首になった記者も読者マーケットで受けいられているのなら、別の新聞社と契約することもできるだろう

質問:ソーシャルメディアでニュースを拾う。情報洪水の中で読者が情報を拾いきれるのか。1つまとめてくれるようなものが必要ではないか
長谷川:そういったポータルサイトがあれば便利だし、ある程度の対価を払ってもいい。ただ、そういうものは流動的なもの。確立された権威は堕落する、腐敗する。かつては1つのメディアを見ていればよかったと思われていたが、流動的だ。揺るぎないものは信用しない、2・3年くらいしか持たない。情報の編集権は個人が持つ、リテラシー的に突き詰めていくことの方が重要である